【陸上競技部】森田凌世の競技継続会見が行われる

<写真・壇上で質問に答える森田>

 

 11月27日、神戸市高砂ビル100banスタジオ503室にて棒高跳の森田凌世(総4)が会見を開催。大学卒業後も競技を継続する旨を発表した。

会見での一問一答

 

森田「私、森田凌世は大学卒業後もプロアスリートとして競技を継続します。大学4年間ではけがもあり、目立った成績を残せませんでした。また、同期も多くが引退をする中、僕自身も競技を続けるか悩みました。ですが、若いときにしかできないスポーツを通して、アスリートとして価値を生かしていきたいと思いました。今は香川選手権への出場を目指しています。いきなりオリンピックに出る、ということではなく、ステップを踏んで成長していくことが、けがに泣いた僕の陸上人生で必要だと思っています」

 

競技を続けると知らせたときの周囲の反応は。

森田「大学の仲間は『やっぱり続けるよね』という感じでした。家族の反応は微妙でしたね(笑い)。陸上競技で食べていける人は少ないからだと思います」

 

競技をする際の所属は。

森田「今のところは無所属です。地元・香川県を拠点とする個人のプロアスリートは初だと思うので、地域の価値を生かし、根付いた在り方を模索しています。自分で起業をして『香川』という名前が入った企業で競技をしたいです」

 

地元・香川県を選んだ理由は。

森田「都会に行けば強い選手いて、整った施設があるが、そこにいけばオリンピックに出られるのか。その答えは『ノー』だと思っていて、どれだけの強い意志を持てるかと情報収集が大事だと思います。地方からでも世界を目指せる、日本一になれるということに挑戦したいという気持ちからです。香川県でもそれができると思っているので、選びました」

 

中学1年時から棒高跳を続けていることについて。

森田「マイナーな種目なので、ここまで長い間続けることは珍しいとは思います。ですが、転向を考えたことはありません」

大きなけがを負いながらも、ここまで競技を続けることができた原動力は。

森田「当初は競技を続けることを考えていませんでした。大学では順調に記録が伸びましたが、けがで全国大会には出られず、他の選手たちと対等に戦える舞台がなかったので、もう一度取り組みたいと思えました」

 

関学陸上競技部で培ったものは。

森田「人間関係ですね。関西に出てきて、たくさんの指導者と出会いましたが成長するためには指導者を信じることが大切です。それができたからこそ、大学1、2年生で記録が伸びました。コーチが自分に対して伝えたいことを理解する。この力は大学で身に着いたと思います。また、部内で活躍した選手がいれば仲間が喜んで、それに刺激を受けてみんなの競技力が上がるという経験ができました。ただ、社会に出たときに、自分の力でどれだけの人を幸せできるのか、楽しませることができるのか。スポーツの持つ力に疑問を持った時期も大学生活ですね」

 

きょうは幼なじみの井原さんも会場にいらっしゃいますが、森田さんにとって井原さんはどのような存在か。

 

森田「けがをした大学3年時から栄養面での管理をしてもらっているのでパートナーですね。練習だけしていれば強くなるわけではない。エネルギーや筋肉を消費する中で、食べるものが自分の体になる。そこの管理をしてもらっています」

 

感謝を伝えたい人は。

森田「中学から大学までの恩師やコーチの方、切磋琢磨(せっさたくま)してきた仲間たちに感謝したいです」

 

森田さん自身の強みを一言で表すと。

森田「『初』ですかね。香川県を拠点にする初めてのプロアスリートという点が地元で競技をする上での強みですかね」

 

プロアスリートとしての最終的なゴールは。

森田「まずは香川県から日本一になること。次に、アスリートたるもの競技だけをやっていれば良いわけではないので、地域課題の解決を通してたくさんの地域の方に応援してもらって、香川の人と一緒にオリンピックを目指します。そして、拠点とする屋島レグザムフィールドをオリンピックのセレモニーで満員にすることが目標です」

 

 

◆森田凌世(もりた・りょうせい)2000年2月14日、香川県生まれ。香川県・高松第一高出身。趣味はサウナ。自己ベストは5㍍30㌢(日本ランキング20位)。総合政策学部4年。174㌢、66㌔。

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